三文会

東大周辺で毎週土曜朝に行っている勉強会です。毎週違う人の話を聞きながら、参加者と発表者が相互に議論をしあいます。テーマ、参加者ともに多様性が特徴です。※2020年3月から、オンラインで開催しています。

6月17日 「古池や」の世界、俳句について(宇高さん)

一分間スピーチ:自分の専門について 参加者数:14名

野間さん ロジトーイという会社で、事業創造をテーマに仕事をしてます。 複数の中小企業の強みを組み合わせて、新しい事業を作るという取り組みです。 システム開発も行ってます。

橋本さん 社会人経験を経て、2回目の大学、東京理科大学に通っています。 経理を学んでいます。 ⇒社会人時代は、外資系金融で、システムコンサルを行っていました ⇒現在は、経営工学(数学、統計など)を学ぶ傍ら、NPOで指導などを行っている。

細谷君 名古屋大学で心理学を勉強していた 第二専門で情報工学を勉強、ビジネスを行っている 学生時代に立ち上げたベンチャーに若干かかわっている 東京大学情報学環に入ろうと思って勉強している

蔵本くん 東大の法学部4年で、大学生活は5年目です。 ゼミのテーマが裁判員制度と報道で、それを朝日新聞の人と一緒に考えていた

熱川くん さくらおさむ研究室に所属。 文学部の日本近代倫理思想史 脳科学の歴史

横田さん 医学部の6年生は何も無い時期なので、自宅学習を行う時間を与えられて国家試験の勉強をしています。 代替医療などを個人的に勉強している

佐久間さん ビット珈琲というベンチャーを経営しています。 早稲田理工学部でコンピューターを専門にしていたが、大学にはあまり行ってなかった。 会社は医療ベンチャーを名乗っているが、システム開発の請負なども行っていた 日本語の解析を使った検索エンジンや大規模なシステムの構築をしたかた

風間君 法政大学出身で経営工学を行っていた。 物事を最適化するということをやっていた。 実家が農家なので農村について研究したい。 農業は、経済だけでは測れない部分があるので、生きがいなどを含めて、最適化をしてみたい

豊沢君 早稲田情報理工学部ソフトウェア工学、コンピューターネットワーク工学を学んでいます。 いかにしてプログラムを書くか、アスペクト思考のプログラミング言語です。 そして、会社をやっています(有限会社シェアリングシード) プログラムを自動的に生成する仕組みを作っている(佐久間さん紹介)

江崎君 国際協力学専攻 途上国の教育、特に大学を研究している 大学入学時は、情報についても興味があった。 教育の歴史という視点で論文を書くと思う。

下川君 法学部3年 三文会には2回目の参加です 中国現代政治をやっている 幅広くいろいろやろうと思っている

波多野さん 法科大学院1年生 こもって勉強してます。 法曹になるための、勉強してます。

国際協力の話があったが、途上国での法整備支援を行いたいというのがきっかけ だったが、 問題解決の種はあちこちに転がっているので、いろいろ見ていきたい

奥村さん 応用化学科 研究3年目 自己集合を研究している DNAは2本の鎖で、自然と分子間力で絡まりあう、そういう形で、適当に混ぜると形ができあがるものを作ろうと思ってます。

宇高君 国文学専修課程 まだ十分専門を学んでいないので、話せるのは、20秒か、25秒くらいかな。 1分は結構長いですね。

さて、ここからは本論です。

俳諧について」 1686年に松尾芭蕉によって詠まれた「古池や 蛙飛び込む 水のおと」という俳句は、なぜそんなにメジャーなのか。 皆さん一度は聞いたことがあると思います。 やはり、小学校の教科書に掲載されていて、小学校でなんども読み上げたりしているようで、そういう効果が大きいと思います。

今回のテーマ ?松尾芭蕉とはどんな人なのか? ?和歌、連歌からどうやって俳諧になったのか?

?「古池や…」の句の解釈と、成り立ち、それが与えたインパクトについて

まず、芭蕉翁の紹介です。 wikipedia より、松尾芭蕉伊賀市出身 →その出自から、隠密だったという噂もある(北国も調査で出かけた?) ・元禄2年に「奥の細道」スタート 今年が320周年(大垣市が320周年祭)

「古池や、蛙飛び込む、水のおと」の意味、解釈は? 蔵本君「池でぽちゃんと音がした、侘び、寂びの雰囲気」(小学校で習ったおぼろげな記憶をもとに、だそうです) これはかなり良い線をついていて、重要なポイントは押さえています。今日は、さらに踏み込んで、歴史的背景をふまえた解釈をつけていきたいと考えます。

昭和42年の解説では、「微妙な」世界、境地、「閑寂」を示している、と書いてあります。ただひたすらにまじめな俳句である、と。 そして、滑稽、機知、洒落の姿がないというが、それは本当でしょうか? のちのち、見ていきたいと考えます。


ここでまず、俳諧とは何か?を紹介します 俳諧連歌がベース、 =連歌から遊戯性を高めた集団文芸

連歌とは、 誰かが、五七五、七五、七七を人が変わりながら、繰り返していく 俳諧は 和歌の連歌の表現を滑稽・洒脱にし、気軽に楽しめるようにしたもの

ということで、和歌から派生した俳諧を理解するには和歌の知識ベースが必要。

和歌では、こうきたら、こうという法則がある(枕詞、掛詞、など)

支考という人(評論家?)が、この俳諧を説明している。 ご参考までに。

※俳句と俳諧の違いは? 俳諧連歌から派生した段階のもので和歌の影響を強く受けているが、俳句は正岡子規らによって連歌の影響をなくそうとしたもの。

俳句の解釈の自由度 例えば「枯枝に鳥のとまりたるや秋の暮」という俳諧があるが、この烏は果たして何匹だろうか? 答え;芭蕉が絵をいくつか残しているが、その柄は1羽の絵もあれば、7-8羽の場合もある ⇒作者ですら、決まったイメージを描いていないのではないか。解釈の自由度が高い俳句


「古池や…」の句の説明

始めは、3月も終わりの頃に、蛙の飛び込む音が聞こえてくることに風情を感じ、後半の「蛙飛び込む、水のおと」だけ先に決まっていた

上5句を決める際、和歌における「蛙」に関するルールで、 ・「山吹(の花)」、特に散り際 ・蛙は鳴いている ・水、川が出てくる というものがあるため、

始めは「山吹や、蛙飛び込む、水のおと」としていた。 が、それだとあまりにも華やかなイメージになってしまうため、もう少し質実な「古池や」にした、という説があるそうです。

俳句にはこういうバランス感覚が大事なんですね。

ここでワンポイント、和歌の世界と比較してみよう。 和歌は雅さを重視し、俳諧は俗と雅のバランスを考えます。

ふるいけや<俗> 蛙は近くにいるイメージ 古池、飛び込む音とも、質素でやや寂れた雰囲気。

和歌の世界<雅> 蛙は遠くにいるイメージで詠む 山吹の花、川などを詠むときも、山吹は散るさまを詠み、川で蛙は鳴く(遠いので飛び込むような音は聞こえない)

古池やでは、雅から飛び出して、俗を出してきた


連歌俳諧、俳句は、即興というイメージもあるが、必ずしもそうではない。 連歌でも、往復書簡で交わす場合もある ⇒推敲を重ねて作られる場合も多い

古池やも同様で、実は別バージョンがある

古池や 蛙飛ンだる 水の音

始めはこう詠んだとされる。しかし、「飛ンだる」だと動きが強く現れ過ぎ、またより近くで観察している印象がでる。これだと俗と雅の「俗」に偏りすぎているため、「飛び込む」にした。

古池は、人工のものでありながら、、古くからある(今はあまり人の手がかかっていない)ので、人工と自然の中間の存在と見なされる。 俗と雅のバランスがちょうどいい。 まとめ 和歌と異なり、俳句は単独としても楽しめる 「古池や…」は「閑居」の感を歌った句である 俳諧として、滑稽さも大いに含む

トリビア 国家大監というCDに、和歌や俳句が全て載っているので便利な時代。ただとても高価。


(感想コーナー) 野間さん 「古池や」という句についても、別のバージョンがあって、出来上がったものと いう話から、当時の生き生きとした楽しい感じが伝わってきました。 特に、「蛙飛ンだる」というフレーズからは、新しい世界を開拓する息吹が伝わ ってきました。 面白い発表でした。ありがとうございました。

橋本さん 日本語の美しさに触れると日本人に生まれてよかったと思う 自分で歌を詠まれた環境にいけるのはすばらしい 身近に話を聞く機会があるのはうれしい 昔は文学の世界も好きだったので、また、そういう場に触れる機会を作りたい

細川君 普段、日本語を使いながら、なかなか、やることがない 純粋に教養として学びたいと思った。 句、一つについて、ここまで深く考える機会は素敵でした。

蔵本君 プレゼンがうまくてすごかった、 なんで、教科書に載っているのか? 俳句が載っている理由は? →伝統性、日本古来の文化を教えるという流行がある。 一回載ると消えない(変わると教える側が困ってしまう)

英語でシャベラナイトで取り上げられる英語俳句で、英語で詠むと10種類くらい の解釈がされる

※海外 オンタリオ州の人が蛙がわさわさと湖に飛び込む音から、春の息吹を感じる風情 をこの句で覚えて、日本に興味をもったケースがある。 気候や文化の違いでも解釈に差が出ることに驚いた。

横田さん 国語、短歌、俳句、というものは、書き出しを詠むだけで、トキメキを覚える いろいろな意味が含まれていること、解釈もいろいろあることを聞いて感動しました。

熱川くん 俗雅のバランスをとっているということを初めて知った 支考の言より、古今和歌集の価値観にも合致する つまり、文化の破壊者ではなく、継承者だということが理解できた

佐久間さん この句で、蛙は一匹もいなかったのではないかという、蛙が飛び込む音がするような静けさをうたっているという説もある。 個人的には、蛙がたくさんいて、ぽちゃぽちゃ音がしているイメージを持ってい た 芭蕉は俗っぽいイメージを強く持っているが、もっと俗な小林一茶が好き、リズムがいい。芭蕉は一茶よりはもう少し上品なイメージ。

風間君 俳句という3行や、和歌の5行という短いフレーズの中に、どういう意味があるのかを説明してもらえると、なんとなく感じることができる どういう言葉を使うのか、何を主体にするのかをしっかり考えられていて、面白いと思った。

豊沢君 なんとなく、面白いと思っていたのが、 今日は、噛んで味わうことができ、なんとなくわかった気がしてよかったです。

波多野さん 小説、文学は好きだったが、最近は学校の専門である社会学系を中心にやっていた。 たまにはこういう機会も良い。 歴史なども触れることができた。 有名で知っていることに触れることができて、説明がうまいなあと思った。 小学校の授業が、こういう授業だったらよかったなあと思う。

雅と俗をつなげるというところ、思考したプロセスが見えるといい。 役に立つたたないではない、時代を超え、人生を豊かにするものというのはよか った。

奥村さん 俳句が好きだったが、俳句の解釈に自由度があるということを新しく知った。 一つの風景を表現して、解釈を通じてまた、一つのイメージに戻るという印象だ ったが、解釈が自由というのはよかった。 旧友と湯気を囲みて穴子飯 という句を広島旅行で作った。作ることも面白い。 次は、みんなで俳句を作りましょう。

江崎君 僕も俳句を作ってみたくなった。 和歌から俳句へ移っていく過程で、新しい解釈がどんどん正当なルールになっていくというプロセスが面白かった。 新書文化にも似たものが見受けられ、最近ではこれでも新書なのかという面白いものも出てきつつあると思う。

下川君 雅と俗の間のバランスについて初めて聞いた 蛙の飛び込む音なんて聞こえるのかな? 想像が入っているのかなと思った。 個人的に、「山吹や」になってなくてよかった


皆さん、触発されて、来月にきっと開催される奥村さんによる、 朝から俳句を書く会に参加することでしょう。 また、三文会の参加者には、文学、日本語が好きな人が多いことが判明しました。